発達障害
発達障害では、脳機能の偏り(発達の凸凹)によって、幼少期から続く日常生活や社会生活の障害が生じます。子どもの頃に診断される方もいれば、大きくなってから、仕事や人間関係で生きづらさが生じて、診断される方もいます。
発達の凸凹の程度はさまざまで、傾向はあるものの、大きな支障なく生活している方もいます。ASDによる対人コミュニケーションの問題やこだわり、ADHDによる不注意からくるミスなど、発達障害による症状自体で困ることもありますが、二次障害と言われる、抑うつなど他の精神症状が出たことをきっかけに、受診される場合もあります。
発達障害の概念や症状が一般の方にも広まり、「自分は発達障害では?」と受診される方が増えました。発達障害の診断には、幼少期からの状況も関与します。養育者に話を聞くことができれば良いのですが、それが難しい場合には、もしあれば、学校の通知表を持ってきてもらうこともあります。その場合、成績自体というより、先生の書かれたコメントが診断の参考になります。その他、診断の補助として、心理検査を行うと、特性がより明らかになります。近年、発達障害が過剰診断されているのではないか、という懸念も耳にします。発達障害は、あり/なしといった白黒のものではなく、定型発達からのグラデーションなので、診断が難しい面もあるのかもしれません。
発達障害は、発達の凸凹であり、「治す」あるいは「直す」という考え方とは、少しなじまないところがあります。自分の特性を理解して、より暮らしやすくする方法を知ることで、生きづらさをやわらげることができます。例えば、自分のできる範囲で、より適応的なコミュニケーションの方法を知ったり、生活に役立つツールを使ったり、自分に適した環境に身を置くことなどがあげられます。
また、発達障害によって、学生時代に、変わっているといじめを受けたり、親や先生から叱られ続けたりして、自信を失っている方もいます。なかには、そのことで深い心の傷を負っている方も多くいます。
出来ないことや苦手なことに目を向けがちですが、凸凹だからこその得意なこともあります。発達障害の方のデイケアにたずさわっていた時、アートや料理を一緒に行って、一人一人の方の持っている豊かでユニークな世界を感じました。本来はASDの方の裏表のなさや興味があることを極めること、ADHDの方の好奇心やフットワークの良さなど、もしかすると、人類の文化の発展に大きく貢献してきたものなのかもしれません。